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京都地方裁判所 昭和32年(わ)136号 判決

被告人 米岡弘泰

明三四・七・一九生 元弁護士

主文

被告人を懲役一年に処する。

但しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、昭和三十二年九月二十日出頭の証人菅原信江、同井上芳郎に支給した分を除くほか全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和二十七年七月中頃弁護士の登録を受け、京都弁護士会所属弁護士として京都市中京区寺町通丸太町下るに法律事務所を設け、その業務に従事していたものである。

ところで京都市中京区西ノ京南原町七番地に事務所及び工場を設け化学薬品の製造、販売等を業とする平安化成株式会社(以下平安化成と略称する。)は、昭和三十年暮頃から同市右京区桂千代原町二五番地所在の近畿晒染工業株式会社(以下近畿晒染と略称する。)から多額の資金援助を受けて新染色薬品ダイオールを研究試作中であつたところ、未だその完成に至らないうち、昭和三十一年四月十七日平安化成社長菅原庄次が急逝し、次いでその後数日を出でない同月二十一日同会社工場が火災により焼失するという難に逢い、右近畿晒染に対する約七百万円の債務を含め、田中清等他の債権者に対する合計約千三百万円程度の負債を残し、平安化成は殆んど壊滅状態に瀕するに至つた。そこで右近畿晒染を初め各債権者はその債権の回収に躍起となり、就中近畿晒染としては右債権が円満に回収できなければ銀行に対する信用を失墜し、延いては会社の存立すら危まれる状態であつたので、同年五月十日頃近畿晒染はその債権の一部を確保するため平安化成の同意を得て同工場に残存していた機械設備等を撤収し、これをその債権の内二百三十万七千円相当の代物弁済として取得する契約を締結したのであるが、他方前記菅原庄次の友人で平安化成の取締役である岡田孝之は、右庄次に対して約六百三十万円の個人債権を有していたところ、右菅原庄次が死亡するや、その当日同人の妻信江から、右債権額相当のもので平安化成の債権者にとつて唯一の担保ともいうべき菅原庄次所有名義の土地、建物の引渡を受けてこれを取得していたことから、近畿晒染と平安化成及び岡田孝之との間に右債権関係等を廻つて紛争を生ずるに至つたが、平安化成側としてはすでにその資産は皆無に近く、右庄次死亡後社長となつた菅原信江等はその債務を返済整理するためには右機械等の返還を受けて工場を再建するほかはないと目論み、同年五月中旬頃、工場の新築工事に着手するとともに、人を通じて近畿晒染に対し機械類の返還を求めて折衝したが成功しなかつたので、同年六月二十一日右菅原信江並びに岡田孝之から被告人に対し平安化成の右負債の整理、そのための右機械類の返還並びに岡田の取得した前記財産に対する近畿晒染等債権者側の強行な追及を排除すること等の法律事務を委任するに至つた。

被告人は、右委任を受けるに当り、右受任事項に関連して岡田孝之、菅原信江から近畿晒染社長川瀬誠等同会社の幹部が、同和火災海上保険株式会社京都支店の係員と通謀の上、平安化成の前記火災を契機に、平安化成の工場にあつた製品、材料等を目的とし、その数量、契約日時等をいつわつて締結した虚偽の保険契約に基き保険金四百三十万円余を騙取している疑がある旨聞き及んでいたところから、その後同年六月二十八、九日頃京都市中京区京都地方裁判所構内京都弁護士会において偶々近畿晒染の代理人弁護士有井茂次と出会い右事件について話合つた際、近畿晒染側の前記保険金不正受領を種に同会社幹部を畏怖させてその金員の一部を出金させようと考え、右有井に対し「近畿晒染は保険金の取り方がくさい。多額の保険金を受領しているのだから百万円位出して話をつけたらどうか、告発の準備もできてるので早い方が良い。」旨申し向け、同年七月一日にもまた前記被告人の事務所において右有井に対し同趣旨のことを申し向けて、それぞれその頃有井をして右川瀬等に被告人の右要求を伝達させ、次いで同月七日頃同事務所において、右川瀬から松木小太郎を通じて依頼を受けた岡野初蔵及び近畿晒染経理係長清田兵一の両名より被告人の前記要求に関して交渉を受けた際、同人等に対し「多額の保険金を騙取していることを思えば百万円は安いやないか、警察の方えも手配することになつている、それを思えば高くない」等と申し向け、若し被告人の右要求に応じなければ同事件を告発して、同会社の名誉信用を失墜させ、且つ右川瀬等近畿晒染の幹部をして刑事上の処分を受けさせるかも知れない旨暗示して右川瀬等を畏怖させ、因つて同月十四日前記被告人方事務所において右清田を介し近畿晒染代表者川瀬から現金四十万円を交付させて、これを喝取したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人において、被告人は依頼者である平安化成及び岡田孝之両名の代理人たる弁護士として、右両名と近畿晒染との間に生じた機械類の返還等を廻る民事上の紛争を解決するため、相手方代理人である有井茂次、岡野初蔵等と示談交渉を遂げ、右紛争を円満解決し、その示談金として本件四十万円を相手方から受領した上、これを依頼者である右岡田等から委任事務処理の報酬として貰い受けたもので、被告人の所為は正当な行為であつて罪とならないものであると主張するようである。

よつて検討するに、元来近畿晒染は平安化成に対して約七百万円の債権を有し、この債権の一部を確保するため平安化成の火災後その焼残りの機械類を持ち帰り、平安化成との間に右債権の内二百三十万七千円につき公正証書による代物弁済契約を締結していたところ、この代物弁済契約の成立につき両者間に争いを生じ、平安化成側から右機械類の返還を求め、これを廻つて両者間に紛議を生じたことは前認定のとおりであるが、右代物弁済契約の成否は別問題として、若し近畿晒染が右機械類を返還することになれば、これに相当する同会社の債権が復活することは当然であるから、仮りに近畿晒染が当時受取つている本件火災保険金四百三十万円余を計算上加味するとしても、右機械類を返還し又はこれに代る金銭を近畿晒染が支払うべきものとする場合には、必然これに相当する近畿晒染の復活債権との相殺その他の問題を生じ、これらの問題について何等かの処置がなされなければならない。しかるに本件においてこの点について何等の取決めも話合いもなされていないことは証拠上明白であり、この点の取決めがなされない侭で、債務者である平安化成が債権者である近畿晒染に対し結局において幾何かの出金を求めたり、殊に右機械類に代る金員を一方的に請求し得る関係でもなく、又そのような権利も存しないものといわねばならない。

しかも近畿晒染としては平安化成が真に工場再建のために機械類を必要とし、且つ岡田孝之においてもその取得した不動産を工場再建のために提供するにおいては、右機械類を返還することに何等異議がないことは証人清田兵一の供述等によつて明かであり、又平安化成側においても機械類の返還を求めることは工場再建のために必要でこそあれ、この焼残り機械類を金銭に評価し、その出金を求めることは工場再建のためにはもとより、これを負債整理等の一部に充てるにしても実際上格別の意義も実効も期待できないものと考えられ、現に被告人に対してそのような金銭の請求を委任した事実も認められない。

他方岡田孝之が取得した不動産は、名義上は平安化成の代表取締役社長であつた菅原庄次個人の所有であつても、実質上は同会社の資産として取扱われていたのみならず、終局的には会社債権者にとつて唯一の共同担保たる性質を有するものとして考えられていたものであり、殊に近畿晒染は菅原庄次に対し別に右不動産を担保とする百万円の貸金証書を有し、この債権を主張していた関係もあつて、岡田に対して右不動産の提供を強く要求していたのであるから、両者の紛争を解決する上において、当然この点につき何等かの取決めがなされるべき筈であつて、しかもその際岡田孝之としてはその取得した不動産をその侭にしておいて、近畿晒染に対して何等かの金員を請求し得べき筋合ではないのである。

以上のとおり本来平安化成又は岡田孝之から近畿晒染に対して一方的に金銭を請求する正当な権利も実益もないのみならず、近畿晒染との間の紛争を真に解決するためには同会社の復活債権の明確化とその処置、岡田の取得した不動産の処理等について明確な話合と取決めがなされなければならない上、平安化成にはなお多数の債権者があるのであるから、仮りに近畿晒染との紛争が一定の条件の下に解決したとしても、必ずしも他の債権者がこれを諒承するものとは考えられないのであつて、この点についても特に配慮がなされなければならず、殊に被告人は平安化成の負債の整理についても委任を受けていたのであるから、当然これら他の多数の債権者との関係を調整し、これを解決する義務があるのに、この点については何等の配慮も解決もなされておらず、現に後に田中清等他の債権者との間に紛議を生じたことは証人田中清の供述等によつて明かである。しかもこれらの点について何等有効な解決方法もなされず、機械類の返還問題も奏効せず、単に近畿晒染から幾何かの金銭を出金せしめたというだけで、直ちに委任事務処理の最終的な報酬を受領することも不可解であるといわねばならない。

更に本件金員の授受について交渉がなされた被告人と有井茂次との会合の状況をみるに、その時期は双方とも弁護士として事件受任後早々の際で、しかも示談の具体的内容にも入らない段階において、突如として被告人から百万円の要求がなされているのであり、両者の二回目の会合においても何等示談の具体的取決めがなされていないことは証人有井茂次の供述によつて明かである。又被告人と岡野初蔵との会合に至つては、主として右百万円の減額交渉とその支払方法について話合がなされたのみで、近畿晒染と平安化成又は岡田との間の債権債務の処理について全くその折衝すらなされていないのであり、むしろ右金員は直ちに被告人の懐に入ることが先決且つ当然のこととして予定されていたものの如くであつて、少くとも右金員が当事者間の債権関係を調整し解決するための正当な示談金でないことが明白である。殊に右金員の授受についてはその事前においてはもとより事後においても、平安化成社長菅原信江がこれを承認した事実は認められず、又岡田がその交渉に立会つていたという弁護人の主張も証拠上明白でなく、仮りに岡田がこれに立会つていたとしても、前記のような事実関係からみて、単に岡田が右金員の授受を了承したというに過ぎないのであつて、これによつて直ちに右金員が正当化する訳ではない。

現に右金員が平安化成にも岡田にも渡らず、結局被告人に対する報酬として被告人に交付されていることは証第四号の領収書によつて明かであり、しかもこれらの交渉を通じて示談書が全く作成されていないことは被告人の認めるところであつて、これによつてみても被告人は真に事件を解決したものとは言えず、むしろ示談により依頼者のために真に事件を解決する意思がなかつたものと断ぜざるを得ない。

要するに、平安化成及び岡田と近畿晒染との間に機械類の返還等を廻つて民事上の紛争を生じていたことは認められるけれども、本来平安化成及び岡田孝之は近畿晒染に対して本件金四十万円を請求する権利があるものとは認められないのみならず、被告人は示談により右紛争を解決する意思があつたものではなく、右近畿晒染の幹部等に保険金詐欺の疑がある事実を指摘し、これを口実に金銭を要求し、相手方を畏怖させ、示談に名を藉り、相手方である近畿晒染から不当な金員を交付させて、これを自己の報酬として受領したものであることが明かである。およそ弁護士が示談の交渉その他委任事件処理の過程において、依頼者に代りその権利を主張し、事件を有利に導くため相手方の弱点を衝き、或はその不正を告訴告発する等の方法により委任事件を有利に解決しようとすることは、その程度方法が権利の行使として一般社会通念上認容すべきものと認められる範囲を超えない限り、正当な行為であつて何等違法の問題を生じないけれども、依頼者に金員の交付を受ける権利がない場合は勿論、たとえ権利関係があつても、示談によりこれを調整し真に事件を解決する意思がなく、単に示談に名を藉り、相手方の不正を摘発すること等を口実にしてこれを畏怖させ不当な金員を交付させるが如きは、正当な行為の範囲を逸脱したもので、違法性を帯有すること勿論である。被告人は依頼者に金員の交付を受ける正当な権利のないことを知りながら、相手方に対し金員の交付を要求し、その手段として相手方の不正を告発する旨暗示してこれを畏怖させ、且つ依頼者に代つて真に示談により委任事件を解決する意思もなく、名を示談に藉り、相手方から不当な金員を交付させたのであつて、到底正当な行為とは見られず、違法な行為として恐喝罪の成立することが明かである。よつて弁護人の右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二百四十九条第一項に該当するので、その所定刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、尚情状により刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二十五条第一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に従い昭和三十二年九月二十日出頭の証人菅原信江、同井上芳郎に支給した分を除くほか全部を被告人に負担させるべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 井上清一郎 橋本盛三郎 渡辺伸平)

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